世界的な大ヒット映画、「タイタニック」が、2021年5月7日、5月14日の二夜連続で日本テレビ系にて放送されました。二週連続で平均世帯視聴率が2桁という、1997年の公開から24年が経った現在でも愛される名作として、色あせない魅力の映画「タイタニック」。音楽も素晴らしく主題歌は、アカデミー歌曲賞を受賞しました。
不沈といわれた夢の豪華客船「タイタニック」は、氷山に激突し深海へと沈没していきました。この映画は、タイタニック号の沈没を背景にしたラブストーリーです。主人公である悲劇の二人は実在しませんが、この事故により大切な人を失ってしまった悲話が実際にあったことは確かです。ここでは、映画の中に登場していた実在の人物のことについて、また乗務したマードック一等航海士をモチーフにし、作曲された音楽作品(吹奏楽曲)を紹介していきます。
映画「タイタニック」実話の一場面 沈みゆく船のデッキで最後まで演奏し続けた音楽隊
豪華客船タイタニック号は1912年4月10日、イギリスのサウサンプトン港を出港し、ニューヨークを目指していました。航行途中のニューファンドランド島沖で氷山に衝突し、4月15日午前2時20分に沈没。1500名以上もの乗客・乗員の命が失われたと伝えられている記録的な海難事故を起こしてしまったのです。
タイタニック号には、8名の音楽家が乗船していました。船が沈みゆく中で乗客を落ち着かせようと、最後まで演奏を続けた音楽隊の姿は印象的だったという方も多いことでしょう。
いよいよ浸水がデッキまで及び、恐怖感が高まる中で「君らと演奏できたことを光栄に思う」と、言葉を発していたのは、バイオリン奏者でバンドリーダーのウォレス・ハートリーという実在する人物でした。この一座は、最後の瞬間まで演奏を続けていたと伝えられており、全員がタイタニックと命を共にしたのです。
ウォレスの遺体が引き上げられた時、自分の身体にバイオリンをケースに収めて縛り付けていたということです。このバイオリンは、婚約者マリア・ロビンソンからの贈り物で、バイオリンは婚約者マリアによって引き取られました。
楽団員には、バイオリン奏者のジョック・ヒュームという21歳の若者もいました。
ジョックは、音楽家として優れた才能を持っていて、14歳の頃から旅客船の専属楽団に加わり、数々の旅客船で演奏を行っていたのです。
タイタニックのクルーから、あと二時間半で船が沈没すると聞かされ、乗客のパニックを鎮めるためにデッキで演奏をして欲しいと依頼をされた時、楽団員の中でも避難をしようと言いだす人もいたことでしょう。しかし、ジョックは音楽家として、音楽の力で人々に希望と勇気を与えるために、音楽を必要としている人がいる限り演奏をするのが使命だと言い、他の団員も共に演奏をするためにデッキに向かい演奏を始めました。
自分たちの乗るボートはもう無い。ジョックを始め楽団員は、過酷な運命が迫ってきていることを感じ取り、タイタニックと共に最期を迎える覚悟を決めたのでしょう。
最期に演奏した曲は、賛美歌「主よ、御許に近づかん」という葬送曲だったそうです。
ジョックの遺体は、沈没から10日後に発見され、事故犠牲者の多くが眠るフェアービュー・ローン共同墓地に埋葬されました。
ジョックにも、帰りを待つ人がいました。メアリー・コスティンという女性で、船から降りたら結婚をする約束をした人でした。しかも、お腹には新しい命が宿っていたのです。
メアリーは、帰ることのない愛するジョックのことを思い、打ちひしがれていました。そんなメアリーに思いがけない奇跡が起こったのです。
亡くなったジョックから一通の葉書が届いたのです。その葉書は、サウサンプトン港を出港する直前に投函されていたものでした。
今まで一度も、出港前に手紙など出したことはなかったジョックからの手紙。
僕に勇気と希望を与えていてくれるのはメアリー、君なんだよ。これからは君と子どもとの三人で「家族」という素敵な音楽を奏でていこうと綴られていたそうです。
ジョックのなかには、無意識に永遠の別れが来る予感のようなものがあったのでしょうか。メアリーに自分の思いを伝えずにはいられなかったのかも知れません。
タイタニック号が沈没してから半年後、メアリーは無事に女の子を出産。愛するジョックにちなんでジョアンと名付けられました。
映画「タイタニック」沈没事故の実話とマードック航海士をモチーフとした壮大な音楽作品(吹奏楽曲)
マードック航海士は次席一等航海士として乗船しており、氷山衝突時のブリッジの当直で、船の運航の責任者でした。マードック航海士も、一人でも多くの乗客を救おうと救助活動の指揮を行いました。客室乗務員として船に残ろうとしているジェソップに最後の命令として、君の仕事はこちらの小さなお客様のお世話をすることだと重要な役目を与え、母親とはぐれてしまった赤ちゃんをジェソップの腕の中に委ね、救命ボートに乗船させたそうです。未曾有の緊急時でも、最善の方法を考え、指示を与えることのできた彼の使命感は、いかに強いものであったのでしょうか。
今回ご紹介するのは、マードック航海士にスポットをあて、タイタニック号沈没事故をモチーフにして樽屋雅徳氏が作曲した吹奏楽曲「マードックからの最後の手紙」です。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用
この曲は、マードック航海士が書いたであろう手紙をイメージして作曲したものだそうです。
演奏会や吹奏楽コンクールで演奏する団体も多く、大人気の曲となっています。
では、作曲者の樽屋雅徳さんの楽曲紹介に参りましょう。
1912年4月、世界最大の豪華客船としてニューヨークへ向け出航したタイタニック号は、その処女航海を終えることなく海の底へと沈んでいきました。
マードックは、タイタニック号に乗船していた1等航海士であり、船が沈む最後の瞬間まで勇敢に乗客の救出にあたった乗組員の一人です。
彼は航海中、家族に手紙を書くのが日課であり、そこには自分の近況はもちろん、家族を気遣う思いが必ず綴られていました。
そんなマードックからの「最後の手紙」には、乗客達で賑わう船上の様子や大西洋からの美しい眺め、そして事故を予感させるアクシデントについて、語られていたかもしれません。
曲はその手紙をアイリッシュ調のメロディーで綴っていきます。マードックからの最後の手紙を「読む」ように聴いていただけたらと思います。
(作曲者:樽屋雅徳氏による楽曲紹介より引用)
マードック航海士から実際に家族にあてた手紙が遺されていることで、手紙というモチーフを使い作曲されたマードックからの最後の手紙。
夢の豪華客船「タイタニック」号の、最初で最後の航海を、物語のように味わう事のできる壮大な音楽作品を、映画の映像と重ねながら聴いてみてください。
映画「タイタニック」の実話。実話をもとに映画を作る事ができたのはなぜなのか。
乗員のほとんどが帰らぬ人になったにもかかわらず、なぜ船内で起こったことが伝えられ、映画「タイタニック」を製作することが出来たのか。最後まで船に残った人たちの中に、奇跡的に生き抜いた人物がいたからです。
それは、救命ボートにありったけのパンを配ったり、必死に人々の救助にあたっていたパン職人のジョーキンでした。タイタニック号が最期という時に大好きなウイスキーを飲みましたが、その時に大量に飲んでいたので体温が上がり、マイナス2℃という冷たい海中の中でも低体温症にならずに済んだ可能性があるそうです。
映画「タイタニック」は、彼の証言が無ければ作る事は出来なかったとも言われています。
彼の使命は、ここにあったのでしょうか。
さいごに
不沈といわれた夢の豪華客船「タイタニック」。それはとても美しい船だったと言われています。
この記事では映画「タイタニック」に登場する実在の人物について音楽と絡めて紹介してみました。
映画「タイタニック」を観た方には、「マードックからの最後の手紙」に耳を傾けていただき、
吹奏楽曲を演奏して、タイタニック号やマードック航海士の事を知った方も、この映画からインスピレーションを得ることができるかも知れません。
沈没の原因については、いまだに多くの謎が残っているタイタニック号。
その魅力はこれからも、人々を惹きつけてやまないことでしょう。